新幹線100系
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新幹線100系


新幹線100系

父が撮影していた古い写真から(以下3枚同じ) 新大阪 1998年7月5日


新幹線100系

新大阪に進入してくるV1編成。 1998年8月8日


新幹線100系

私にとって「ひかり」と言えば100系だった。 京都 1998年8月8日


新幹線100系

山陽新幹線に転属してからしばらく経つと、塗装はフレッシュグリーンと呼ばれるものに変わっていった。 相生 2010年8月5日


新幹線100系

広島 2010年8月6日


新幹線100系

新神戸〜西明石(神戸総合運動公園より) 2011年1月30日


新幹線100系

引退が近づくと、国鉄特急色に戻った編成もあった。 西明石 2011年1月30日


新幹線100系

横顔はサメに似ていたので、「シャークノーズ」と呼ばれたりしていた。 新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

置き換える車両と、置き換えられる車両 新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

こんなところにも100系はいた。あれから1年半この看板はどうなっているのだろう。 新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

やはり100系にはブルーのラインがよく似合う。 新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

駅にある編成案内にも100系と判るものが。 新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

N700系との離合。 新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

置き換える車両と、置き換えられる車両U 新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

0系亡き後の山陽では、電光掲示板で100系だと一目で分かった。 新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

 新倉敷 2011年8月6日


新幹線100系

新倉敷 2011年8月6日


南海6000系

100系の中間車、126系5000番台 新倉敷 2011年8月6日


南海6000系

100系の中間車、125系5000番台 新倉敷 2011年8月6日



概要

1985(昭和60)年に当時の国鉄が開発をし、登場した。この形式の特徴といえば、何といっても二階建て車両である。最初に登場したX編成は2両連結で、2階がそれぞれ、グリーン車と食堂車になっており、1階はそれぞれグリーン車と個室になっている。翌1986年から量産が開始され、国鉄民営化後の1987年からは、既存の車両も含めJR東海持ちとなった。そのときに、食堂車を廃し、1階にカフェテリアを設置した、いわゆるG編成も登場している。さらに1989(平成元)年からは、JR西日本も「グランドひかり」のV編成を登場させた。この編成は、2階建て車両が4両組み込まれており、JR東海編成とは違った雰囲気の食堂車も連結されている。おもに「ひかり」で運用されていたが、後輩である300系、500系、700系の登場により、X編成は1999(平成11)年に、G編成は、2003(平成15)年に、V編成は2002年に引退した。このうち1999年から4両、または6両への短編成化が進められ、山陽新幹線の「こだま」に転用された。この「山陽こだま」には主にV編成から転属された編成が多数だが、足りない先頭車を補うため、G編成の先頭部を中間車に持ってくる事で対処している。山陽新幹線でもスピード化に対応できず、山陽・九州新幹線用N700系7000・8000番台の登場により、700系7000番台に間接的に追い出される形で2012(平成24)年3月16日に臨時「ひかり」号で運用後引退した。



コメント

南海6000系や、近鉄12200系ほど新幹線はよく利用していたわけではないのですが、私の新幹線のイメージ、特に「ひかり」といえばこの車両でした(ちなみに「のぞみ」は300系、500系以降で、「こだま」が0系でした)。東海道新幹線から引退し、短編成になった姿を見たときは、がっかりしたのを憶えています。4両、6両になり二階建て車両を失った100系を見て、その時は「こんなん100系やない。はよ引退すればいいのに…。」と子供心に思っていました(←ひどいなあ)。それから約10年後、本当に引退してしまいました。頻繁に乗ったわけではないですが、思い入れのある車両ということで3位とさせていただきました。




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